2023年12月28日木曜日

あるいは裏切りという名の猫 5

ある日、俺はついに妻にすべてを打ち明けた
かつて(レニィと出逢う少し前)大部屋女優のララ・アンジェリスタと付き合っていたこと
ララの妊娠を機に別れたこと(ララは俺が用意した堕胎費用と手切れ金とともに姿を消した)
唐突に現れた娘ティアラのことも…
「それで?」
「ララさんは、あなたに娘の認知を要求したの?」
「いや 娘には父親はとうに死んだと言ってあるそうだ」
「じゃあ、このことをネタにあなたに金品を要求したの?」
「い、いや それもない」
「ならば、問題はないでしょう」
「は?」
「彼女が、ただのお隣さんとしてお付き合いしたいと言うのであれば、そうすればいいだけのこと 何も悩む必要がありまして?」
「し、しかし、あのララが本気でそんな殊勝なことを言うなんて俺には信じられん きっといつか何かを仕掛けてくるばず」
「その時はその時」
そう言って微笑む妻の顔は、俺が今まで見たことがないほど美しく…そして、恐ろしい顔だった
(我われは、ブロンソンとデイドラにはティアラという異母姉の存在はしばらくは内緒にしておくことに決めた)
人気ドラマ「トツガー警部」の新人刑事役アンジェラ・アルバート
業界も注目するこの役を射止めたのは新進気鋭のティアラ・アンジェリスタだった
オーディションの審査委員長だった監督の弁を借りると「彼女以外に誰を選べと言うんだ 彼女こそアンジェラそのもの」だそうな…
実は、俺が演じるカメイ刑事の娘※という裏設定があるのだ(俺もあとから聞かされたが)
※注:カメイ刑事の前妻が産んだ娘 その後母親は娘を連れて別の男性と再婚 姓が変わっているためカメイは彼女が娘であることに気づかないという笑えないエピソード
「…誰が書いたんだよ、こんな脚本※」
※注:「トツガー警部」シリーズは複数脚本家制 メインの脚本家はレニィ・リトラーである
新レギュラーのアンジェラ役はおおむね視聴者に好感を持って受け入れられた
切れ者のくせにどこか抜けているカメイ刑事が、アンジェラがいつ自分の娘と気づくのか
視聴者の間では賭けを始める者もいると聞いた
ともあれ、ティアラ・アンジェリスタがスター俳優への階段を一段上がったことだけは間違いない
「オヤジのこと見直したぜ」
「ん?」
「アンジェラ役のことさ ティアラさんがあの役をゲットできるようオヤジがアシストしたんだろう?」
「はは 何度も言っているが俺は何もやっていない そもそも、この俺にキャスティングに口出しする権限などあろうはずがない」
「あの役をつかんだのはティアラさんの実力さ」
「またまた、謙遜しちゃって」
「クラスでも話題になっているんだぜ、カメイ刑事がいつアンジェラが娘だと気づくのかって こっそりオヤジに訊いてくれなんて俺に頼む奴までいるぜ」
「それは企業秘密だ おまえにも教えられん」
…だいたい、カメイ刑事を演じている俺だって知らないんだから


あるいは裏切りという名の猫 4

「なあ、オヤジ」
「お隣のティアラさんってさ」
「すごく気さくで感じがいい人だよね」
「芸能人ってみんなツンケンしていて高ビーだと思ってた 反省しました」
「そういや『トツガー警部』の次のシーズン、女性の新人刑事を投入するんだろう? オヤジ、彼女を推薦してやれば?」
「あの役はオーディションで決まる(俺にそんな権限があるわけないだろう)」
「あたし、あんなおねえさんが欲しかった こんな馬鹿兄貴じゃなくって」
「馬鹿兄貴とは何だよ」
いつのまにか
俺の「領域」がじわじわと
アンジェリスタ母子に侵食されていく
ララは何も仕掛けてこない
あくまでも「善良なる隣人」を演じ続けているのだ
ただそれだけに、日増しに恐怖が募っていった
新進女優のティアラ・アンジェリスタは
とりたてて美人というわけではないが
持って産まれた天才的な演技力と、その人柄の良さで
業界でも「一度は使ってみたい女優のひとり」となりつつあった


2023年12月27日水曜日

あるいは裏切りという名の猫 3

「お待たせ」
「あいかわらず、時間にルーズな女だな」
「ごめんなさい ひさしぶりにあなたに誘われたから何を着ていこうか迷っちゃって」
「ぬけぬけと… それより、何を企んでいる?」
「あら、何のお話?」
「とぼけるな 君の娘…ティアラとか言ったな あの時、俺は堕ろせと言ったはずだ」
「そうだったわね でも、産む・産まないはあたしの勝手でしょう?」
「それに、あの子には父親は産まれる前に死んだと言ってあるわ 今さらあなたに認知してくれなんて言わないし」
「だったら、なぜうちの隣に引越してきた?!」
「信じてもらえないでしょうけれど、ホント偶然よ 知人のロボさんが『新しいマンションに引越すからよかったらどうか』と言ってくれたの あなたがたのお隣だと知ったのは引越してからよ」
「そんな話、誰が信じるものか!?」
「…もう、困った人ね」
「大丈夫よ 新進女優のティアラ・アンジェリスタが実はルーベン・リトラーの隠し子だなんて、マスコミにたれ込む気はさらさらないから」
「……」
「あなたが押しも押されぬトップ・スターならいざ知らず… せいぜい2、3週間ゴシップ誌をにぎわす程度でしょう? かえってあの子のキャリアに傷がつくだけ」
「あの子は俳優としての才能があるの あたしやあなたと違って」
「……」
「…ララ」
あたしとあなたはあの日が初対面
これからも、ただのお隣さんとして、
お付き合いしていくだけ
それでいいでしょう?